宿の歴史

東京の奥座敷、
桜や作右衛門の歴史。


東磯部温泉は上毛三山の一つである名峰妙義山麓に位置し、東に赤城山、北に榛名山、西に白雲去来する浅間山、並びに妙義山を望む閑静な保養地です。
天命3年8月5日の浅間山の大噴火により湧出量が増し、明治・大正・昭和と近隣住人の人々の湯治並びに保養地として栄え、特に明治18年、信越線開通(高崎-横川間)と共に、東京の奥座敷として文人墨客ならびに経済人の保養地として親しまれました。

当館はその昔、若田村(現高崎市若田町)で名主を務め、縁あって明治3年に初代・林益造が磯部温泉にて保養旅館として開業したのが起源です。
碓氷川に接した広大な倉島邸跡地に建てられた五棟は、四季折々の風情あるかまえをなしている。

同志社大学の創始者である新島襄、並びに若山牧水、巌谷小波(いわやさざなみ)などの歌人に利用され、特に牧水は大正6年と12年に二度に渡り 2週間から20日滞在し、九首の歌を残している。
また昭和56年「せせらぎの宿」並びに「林家八景」の二曲を、昭和を代表する作曲家・服部良一、作詞家・鈴木比呂志、両氏が作曲を手がけた。

現在は新幹線高崎駅や上信越道も開通し、交通に便利な立地のため、主に隣接する埼玉、東京、栃木、長野、新潟や、群馬などから多くのお客様を迎え、癒しの温泉地として親しまれている。